5/9ページ目 □ 啄木忌 □ 4/13春》行事 無駄遣い子にいましめる啄木忌 田中こずゑ 啄木忌いくたび職を替へてもや 安住 敦 脚病めば故郷遠し啄木忌 遠藤梧逸 ある年の花遅かりき啄木忌 久保田万太郎 本棚のあたりより暮れ啄木忌 鈴木真砂女 靴裏に都会は固し啄木忌 秋元不死男 城の堀いまもにほへり啄木忌 山口青邨 紙に掬ふ消しゴムの屑啄木忌 奥谷亞津子 物書くは巣籠るに似て啄木忌 鷹羽狩行 いつ消えしわか手のたばこ啄木忌 木下夕爾 便所より青空見えて啄木忌 寺山修司 ふるさとを持つ恥づかしさ啄木忌 櫂未知子 ▲俳句画像.jpg 戦経て傷みし身なり啄木忌 村山古郷 背負ひたき母今は亡し啄木忌 市川愁子 ▲俳句画像.jpg 見詰めれば指にペンだこ啄木忌 吉屋信子 ※啄木忌 4月13日 歌人・石川啄木の1912(明治45)年の忌日。肺結核により27歳で東京小石川区にて没する。 実母の死後一ヶ月後のこと 1886年 2月20日 岩手県渋民村生まれ 当時45歳だった夏目漱石は、朝日新聞の特集編纂の仕事の際に面識があった啄木の葬儀に参列している。また漱石夫人は、生前から漱石の弟子を通して啄木に生活支援のための見舞金を贈っていた。 俳人でもあった漱石は短歌をせず、啄木は俳句を詠んでいない(一句だけあり)。しかし、啄木は漱石の小説にかなり関心を寄せていたらしく、日記に漱石の小説のことを何度も書き遺す。啄木は小説家も志していたが、病により叶わなかった。 人様々で、啄木の葬儀に28歳で参列していた歌人の 北原白秋は、ユニークな俳句作品も遺している。 季語になっている啄木忌は、ちょうど桜の花の咲き始める北国の春に当たり、啄木の短くもドラマチックな人生に想いを寄せる多くの俳人の魂を動かしてやまないのだろう。 天才歌人 啄木の学生時代からの人生の相棒となった妻 節子の人生もまた短く壮絶であり純粋な愛を貫く生涯だった。 記録によると、節子は不仲な義母を亡くした一ヶ月後に夫の啄木を亡くし、さらに三人目の子の出産を二ヶ月後に控えていた。1910年12月の処女歌集『一握の砂』に次ぐ第二歌集の編纂を身重の身体で手伝い、出産と重なった1912年6月20日に刊行された『悲しき玩具』の出版を見届け、二人の女の子(長男は2010年に生後24日で死亡)を連れて函館に移住している。しかし夫と同じく肺結核が原因で翌年2月に入院、5月5日に28歳で没している。 【参考】 啄木の肖像・啄木の交友録
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