1/12ページ目 星村薫、43歳会社員。 ごく一般的な中流家庭で妻と子とごく普通の生活を送る、何の変哲もない日々。 このまま、変化はないが穏やかな時間がずっと続くと思っていた。 だが、ある日… 『見つけたよ』 ぞくり、と星村の背を冷たいものが流れた。 聞こえてきたのは可愛らしい声のはずなのに。 ゆっくりと振り返ると、そこにはやはり愛くるしい犬のぬいぐるみ…否、よく見ればそれはひとりでに動いて、声を発している。 「…仕事疲れ、ですね。帰りましょう」 『幻覚でも幻聴でもないよ。ついでに夢でもない』 ぬいぐるみは見た目に反した素早い動きで星村の退路を断った。 「ひっ…」 『ああ、そんなに怯えなくていい。ボクはキミに頼みがあって来たんだ』 ふわふわと宙に浮く、しゃべる犬のぬいぐるみ。 ファンシーな光景だが、現実に生きるいい大人には冗談がきつい。 「た、頼み…?」 何でもいい、早く帰ってくれ。 そんな一心で星村はオウム返しに口を開いた。 『キミにこの世界を救う戦士になって貰いたい』 「せん、し…?」 ぬいぐるみのような生き物の言葉を一度ゆっくりと反芻する。 だがいくら考えても、星村には理解が出来なかった。 「ただのサラリーマンで肉体労働は苦手な私が、戦士?…戦士って、比喩表現ですか?」 『そのままの意味だよ。その肉体労働が苦手な体を使って、悪と戦って欲しいんだ』 「…何故、私が?」 特別体力がないかと言われるとそこまで酷くはないが、戦いには向かないだろう、と己の頼りない細身に視線を落とした。 『それはキミが魔法の力の適合者だからさ』 「魔法?」 また現代日本の日常では物語の中ぐらいでしかそうそう聞けない、非現実的な単語が現れた。 (戦士だの魔法だの、世界を救うだの、いくら何でも冗談が過ぎる…というか、こんな生き物と話している事自体が冗談か。悪い夢なら早く覚めてくれ…) 畳み掛けるような非現実の嵐に、別に子供時代も夢見る少年ではなかった星村はただただ眩暈を覚えるばかり。 と、ぐらりとよろけたところに、柔らかい感触が手に触れた。 ーーカッ!ーー 「な、なんだ、この光は…!?」 『やっぱり、ボクの目に狂いはなかった。』 触れた箇所、互いの手と手の間から強い光が発せられる。 まるで、魔法のように。 「あたたかい、これは…」 『魔法の力さ。娘さんが休日の朝、よくテレビで観ているだろう?…いわゆる魔法少女。それにキミがなるんだ。まぁ、キミの場合は少女じゃなくて、差し詰め“魔法中年”かな?』 「…は?」 仕事の覚えは決して遅い方ではないつもりの星村だが、この時ばかりは理解に時間がかかった。 幼い娘が魔法少女のアニメに夢中なのは知っているが、自分が真剣に観た事はない。 いや待てそんな事よりも、だ。 「…どうして私に娘がいると、」 『細かい事はいいじゃないか。キミが戦わないなら、その娘さんも危険かもしれないよ?』 「ぐっ…」 ぬいぐるみが意地悪く告げる。 どうあっても、星村を戦士とやらに仕立て上げたいらしい。 得体の知れないこの生き物が言う“悪”より、こいつに大事な娘の事を知られている、というのが差し迫った危機のように思えた。 「…わ、わかった。どうすればいい?」 『さすが、話が早くて助かるよ』 早く済ませて、この悪夢を終わらせて、出来れば翌朝爽やかな目覚めと共に「あれは悪い夢だった」という事にしてしまいたい。 『じゃあまずは変身をして貰おう。魔法の呪文“タウリン・タウリン・アリ・ナ・ミーン”と…』 「たっ…タウリン・タウリン・アリ・ナ・ミーンっ!」 星村が手を掲げ高らかに叫ぶと、眩い光に包まれる事もいつものスーツ姿から見違えるようなコスチュームに変わる事もなく……特に何も起こらなかった。 ただ、身に突き刺さるような静寂だけが返ってきて… 『…別に言わなくても変身出来るけど、まさかホントに言うとはね』 「……っ」 星村は、その場にがっくりと崩れ落ちた。 [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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